2018年御翼11月号その1

                           

祖父の破産をうらむことなく

  以下は、佐藤陽二『創世記講解』(p.266)からの引用である。
敗戦後の私は、戦死した人々の方が、まだ、ましだと考えたことが何回かあった。保原中学校の先輩の加藤正男大尉二十一歳)や遠藤彰中尉(七三期 、二十歳)のように、戦死したかった。しかし戸主(こしゅ=旧民法で、家の責任者)である祖父が破産宣告を受けていたために、遠藤中尉と一緒に入校できなかった。その時、私は祖父をうらんだ。そして三本杉家の養子にしてもらって入校した。しかし伝道者・牧師となった今は、戦死しないで(戦死を恐れているのではない)、海軍兵学校の教育を受けられたことを感謝している。その事が、牧師となった時に、役立っているからである。したがって、祖父の破産をうらむことなく、遅れたことは人のせいではなく、神の摂理であったと思っている。  

 海軍兵学校の教育とはどんなものであったのか。『今こそ知りたい江田島海軍兵学校 世界に通用する日本人を育てたエリート教育の原点』(新人物往来社)の中で、67期・第11代海上幕僚長の中村悌次氏は、以下のように記している。
 「その教育とは何であったか。日本の戦後教育とはまさに対極にあったといえるのではないか。人間のやることに万全ということはない。いずれにも利点もあれば、欠点もある。しかし今日の目を覆うばかりの道義の退廃を見るとき、江田島の教育はよかった、あの教育を受けたことは一生の幸せであったとの思いを新たにするのである。その第一は奉仕の精神である。国家国民への奉仕、海軍や部隊への奉仕、同僚、部下への奉仕、その奉仕には限界や保留はなかった」と。
 そして、兵学校には支那事変で実戦に参加した将校らが教官として着任していた。中村氏は最上級生になったある日、パイロットの官舎を訪問して尋ねた。「『教官、怖くはありませんでしたか』と問うた。「それは怖いさ。しかしなァ、やることが多くて怖がっている暇はなかったよ」との返事であった。これらのことから、私は真剣に自分に与えられた職務に没頭しておればよいのだ、それなら自分にもできる、と思い定めて卒業した」とある。
 この精神と生き方は、クリスチャンたちも身につけるべきものである。

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